荒木町の高須四兄弟!
狭い路地に様々な飲食店がひしめき、最近では“日本酒の聖地”などという呼ばれ方をするようになった四谷・荒木町。
日頃お世話になっているこの界隈ですが、かつては一帯が大名屋敷だったのです。
その大名とは美濃高須藩(現在の岐阜県海津市)の松平家。
御三家の尾張徳川家の分家です。
幕末、この高須松平家に生まれた四兄弟が様々な立場で歴史に登場するのでした。
そんな高須四兄弟の事跡を紹介する「新宿歴史博物館」の催し。
(2014年9月13日〜11月24日)
高須藩十代藩主・松平義建の子が各大名家に養子に入ったことからその後複雑な関係が生まれました。
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長兄の徳川慶勝(よしかつ)は御三家の尾張藩主に。
長州征伐の総督を努めながら、鳥羽伏見の戦いの折りには一転して藩論を勤王に統一させた。
戊辰戦争では東北諸藩と戦う。
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一橋茂栄(もちはる)は将軍・徳川慶喜の後に一橋家の当主に。慶喜の助命嘆願に奔走した。
戊辰戦争では中立派。
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松平容保(かたもり)は会津藩主に。
京都守護職となり新選組などを率い京都の治安にあたる。
後に官軍に抵抗して会津戦争を戦い敗北。
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末弟の松平定敬(さだあき)は桑名藩主に。
京都所司代として兄の松平容保を助け、戊辰戦争では各地を転戦し函館五稜郭で降伏。
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同じ家に生まれながら、幕末には異なる立場で激動の歴史を生きた四兄弟。
かつては“一会桑政権”と呼ばれるほどの勢力を持ちながら、波乱の幕末に試練を味わった男たち。
書や写真、身のまわりの品など、様々な展示があります。
四兄弟の事跡に感慨深く接したあとは自然と足が荒木町に向かいます。
策(むち)の池。かつて家康が鷹狩りの際に鞭を洗ったのが由来だとか。
高須松平家の上屋敷内にありました。
上屋敷のなごりを残しているのは、この場所くらいでしょうか。
ちなみに地酒星人の子供の頃には通称“かっぱ池”と呼ばれていました。
(足をすべらせて見事はまった事があります:苦笑)
津の守辨財天にお詣りをして・・・。
「どうか荒木町で、これからもおいしいお酒が呑めますように・・・。」
あ、そうそう。
荒木町の車力門通りの名も高須松平家の上屋敷から来ている名前らしいですね。
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コメント
最近は大河ドラマや、NHKのBS歴史館から歴史を改めて学んでますf(^^;
若い頃は興味の無かった神社仏閣も、ゆっくり観覧...歳取ったんだなぁ〜〜(笑)
投稿: イケ | 2014/10/17 10:40
《イケさん》
そうそう、最近はこの類いの展示でも細かいところに興味が行きます。
手紙ひとつでも、その時の人物の置かれた状況からの心情を察したり。
筆跡から性格を探ったり。使用している紙質から、やっぱり大名だなぁと感心したり。
空いていそうな時間を選んでゆっくりまわってしまいます。
歳、とりましたね(笑)。
投稿: 地酒星人 | 2014/10/17 11:02