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2011年3月の2件の投稿

2011/03/15

自分にできること。

災害地の惨状を報道で見る度、心が痛みます。
現地に行って救出の手伝いをしたい!と思うものの何の技術も持たない自分が行っても足手まといになるだけ・・・。
東京にいて出来ること。
それはやはり、現地の酒蔵を応援する事ではないのか?

という事で、近所のスーパーで買って来た浦霞・純米酒

Urakasumi11

宮城県塩釜市のお酒ですね。
蔵のHPによると壁の崩落や商品の一部が津波で水に浸かるなどの損害はあったものの、全社員がご無事であったようです。
ライフライン回復とともに復旧に取りかかるとのこと。
月並みな表現ですが、「がんばってください!」。

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2011/03/12

地震、そして徒歩帰宅・・・。

皆さん、被害の状況はいかがでしょうか。
地震の瞬間、私は浦安の舞浜に居ました。
道を歩いていると目眩かと思って、立ち止まりました。
しかしそれは目眩などではなく道が激しく揺れている事にすぐ気づき。
やがて立っていられないほどの揺れが来て、近くのガードレールにしがみ付きました。
ガードレールの立っている砂利の部分とコンクリートの縁石がそれぞれ左右逆方向に動いているのを見て驚き・・・。
地下の水道のものなのか、海が近いからなのかわかりませんが、揺れている間に「ザッパーン、ザッパーン」という波が打ち寄せるような短い間隔の音が聞こえていて、不気味でした。
見る間にあちこちでマンホールや道路の割れ目から水が噴き出して来て・・・。

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舞浜駅前のロータリー。
噴き出した水と砂で、まるで潮干狩りの浜のような状態に。

Maihamast1

駅舎の地盤もご覧のような状況。

Maihamast2

このような陥没があちこちに出来ており、埋め立て地の脆弱さを感じました。

Maihamart

駅近くの住宅地でも歩道がカマボコ型に盛り上がり、街路樹が傾くなどしていました。

なんとか仕事の用事を終えたのが4時30分の頃。
電車運行の状況を調べに舞浜駅周辺に行ってみましたが、駅構内は危険性があるとの事でシャッターが閉まり入れない状態。

仕方なく徒歩での帰宅を決心したのは陽も暮れかけた5時過ぎでした。
東京・四谷の我が家へ向け、重いノートパソコンを持ちつつ歩を進めます。
江戸川を越えるための橋の位置を間違え、とんでもなく遠回りをしながらなんとか川を越えて都内へ。
やはり液状化であちこち冠水している葛西を抜け、荒川を越えるため清砂大橋を通過したのですが、橋を渡る途中で余震が来た時はいやな思いをしましたね(冷汗)。
徒歩帰宅の為に都心方向からやって来る橋の上の大勢の人の中、ただ一人逆方向を目指してよけて歩くのは非常に疲れました。

砂町から門前仲町へ。
このあたりになるとようやく懐かしい町の喧噪が。
帰宅をあきらめたか居酒屋で飲んでいる人も多く。
地酒星人も“魚三酒場”に誘惑されつつ(苦笑)、家族の待つ家へとさらに歩を進めます。

やがて隅田川を越え、茅場町に。
日本橋にさしかかった頃、地下鉄銀座線が動いているとの情報を得て、早速乗車。
そのまま赤坂見附まで行きたかったのですが、隣駅の京橋で停車してしまい。
なんでも渋谷駅が混雑をし過ぎて危ない状態になっており、再び運転を見合わせるとの事。
しばらく待ちましたが動きが無いので下車する事に。
結局四谷に向けて横方向に移動しただけでした(汗)。

本当は竹橋を抜けて番町に出ようと思っていましたが、京橋に来てしまったので路線変更。
日比谷公園脇を通り、三宅坂へ。
いつもの晩ならランナーで賑わうお濠沿いの道も、この日はさすがに一人も行き会わず。
かわりにたくさんの徒歩帰宅の人・人・人・・・。
この頃から歩き続けた足に痛みが出てきてゆっくりとしか前へ進めず。
やっとの事で半蔵門に。そして麹町を抜けて四谷にたどり着いたのでした・・・。

家に着いたのは11時過ぎ。
舞浜を出てから6時間の旅でした・・・。
直線距離では20kmくらいでしょうか。しかしながら道に迷ったり、橋をさがして横移動をしたりの道程だったので25〜30kmくらいは歩いたかもしれません。

東日本が大混乱に巻き込まれた昨日の地震でした。
被災地の一刻も早い復旧を願っています。

0311

家に帰ってみると、自分のデスクまわりが大変な事に・・・(汗)。

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